南極地域の環境の保護に関する法律施行規則
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平成九年総理府令第五十三号
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略称 : 南極環境保護法施行規則
南極保護法施行規則
別表第四 南極史跡記念物
最終編集日 :
2024年 08月20日 10時49分
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番号 | 名称 | 位置 |
一 | 千九百六十五年に第一回アルゼンチン内陸極点探検隊により地理学的南極点に立てられた旗竿 | 南緯九十度 |
二 | 千九百六十年に死亡した福島紳を記念して昭和基地に建てられた石塚と銘板 | 南緯六十九度東経三十九度三十五分 |
三 | 千九百三十年にダグラス・モーソンによりエンダビー・ランドのプロクラメーション島に建てられた石塚と銘板 | 南緯六十五度五十一分東経五十三度四十一分 |
四 | 千九百五十八年のソヴィエト南極探検隊による到達不能極征服を記念した銘板と共にV.I.レーニンの胸像が取り付けられている基地の建物 | 南緯八十二度六分四十二秒東経五十五度一分五十七秒 |
五 | 千九百三十一年にダグラス・モーソンによりマックロバートソン・ランドのブルース岬に建てられた石塚と銘板 | 南緯六十七度二十五分東経六十度四十七分 |
六 | 千九百三十九年にヒューバート・ウィルキンズによりプリンセス・エリザベス・ランドのヴェストフォール丘陵のウォークアバウト岩に建てられた石塚 | 南緯六十八度二十二分東経七十八度三十三分 |
七 | 千九百五十六年に死亡したイワン・カルマを記念してブロムスキー島に建てられた銘板のはめ込まれた石 | 南緯六十六度三十二分四秒東経九十二度五十九分五十七秒 |
八 | ミールヌイ観測所から 二キロメートル地点にあるミールヌイ―フォストク・ルートに置かれたそりに設置された、任務遂行中に死亡したアナトリー・シチェグロフを記念する銘板がついた金属製の記念碑 | 南緯六十六度三十四分四十三秒東経九十二度五十八分二十三秒 |
九 | 任務遂行中に死亡したソヴィエト南極探検隊のソヴィエト、チェコスロバキア、ドイツ民主共和国 及びスイス市民が埋葬されているミールヌイ観測所近くのブロムスキー島にある墓地 | 南緯六十六度三十二分四秒東経九十三度 |
十 | 千九百五十六年のオアシス基地の開設を記念する銘板がついた、バンガー丘陵のドブロウォルスキー基地の地磁気観測所 | 南緯六十六度十六分三十秒東経百度四十五分三秒 |
十一 | 千九百五十七年のボストーク基地の開設を記念する銘板がついた、地球の地磁気極への最初の横断に関わった重トラクター | 南緯七十八度二十七分四十八秒東経百六度五十分六秒 |
十二 | 削除 | |
十三 | 削除 | |
十四 | 千九百十二年に英国南極探検隊のビクター・キャンベルの北方隊によりテラ・ノヴァ湾のイニクスプレッシブル島に作られた氷穴の跡 | 南緯七十四度五十四分東経百六十三度四十三分 |
十五 | 千九百八年にアーネスト・シャクルトンによりロス島のロイズ岬に建てられた小屋(千九百六十一年に修復されたもの) | 南緯七十七度三十三分東経百六十六度十分 |
十六 | 千九百十一年にロバート・ファルコン・スコットによりロス島のエヴァンス岬に建てられた小屋(千九百六十一年に修復されたもの) | 南緯七十七度三十八分東経百六十六度二十四分 |
十七 | 千九百十六年に死亡したアーネスト・シャクルトンの南極横断探検隊の隊員三名を記念してロス島のエヴァンス岬のウインド・ヴェイン丘に建てられた十字架 | 南緯七十七度三十八分東経百六十六度二十四分 |
十八 | 千九百二年にロバート・ファルコン・スコットによりロス島のハット岬に建てられた小屋(千九百六十四年に一部修復されたもの) | 南緯七十七度五十分東経百六十六度三十七分 |
十九 | 千九百四年にジョージ・ヴァンスを記念して英国南極探検隊によりロス島のハット岬に建てられた十字架 | 南緯七十七度五十分東経百六十六度三十七分 |
二十 | 千九百十三年にロバート・ファルコン・スコット隊を記念して英国南極探検隊によりロス島のオブザーベーション丘に建てられた十字架 | 南緯七十七度五十一分東経百六十六度四十一分 |
二十一 | 千九百十一年にロバート・ファルコン・スコット隊のエドワード・ウィルソン支隊によりロス島のクロージア岬に建てられた石の小屋 | 南緯七十七度三十一分東経百六十九度二十二分 |
二十二 | 千八百九十九年にC.E.ボルヒグレヴィンク率いる「南十字星」探検隊によりアデア岬に建てられた小屋 | 南緯七十一度十八分東経百七十度十二分 |
二十三 | アデア岬にあるニコライ・ハンソンの墓 | 南緯七十一度十七分東経百七十度十三分 |
二十四 | 千九百十二年にロアール・アムンセンによりクイーン・モード山脈のベティ山に建てられた石塚 | 南緯八十五度十一分西経百六十三度四十五分 |
二十五 | 削除 | |
二十六 | 千九百五十一年に建てられたマルグリット湾のデブナム諸島のバリー島にあるアルゼンチン基地「ヘネラル・サン・マルティン」の放棄された施設 並びに十字架、旗柱 及び一本石柱 | 南緯六十八度八分西経六十七度八分 |
二十七 | 千九百九年にJ.B.シャルコー率いる第二回フランス探検隊によりペーターマン島のメガレストリス丘に建てられた銘板がついた石塚(千九百五十八年に修復されたもの) | 南緯六十五度十分西経六十四度九分 |
二十八 | 千九百四年に「ル・フランセ」号で越冬したJ.B.シャルコー率いる第一回フランス探検隊の隊員名を刻んだブース島のシャルコー泊地にある木柱と銘板がついた石塚 | 南緯六十五度三分西経六十四度一分 |
二十九 | 千九百四十二年にアルゼンチンによりメルキヨール諸島のラムダ島に建てられた灯台 | 南緯六十四度十八分西経六十二度五十九分 |
三十 | 千九百五十年にパラダイス泊地のチリの「ガブリエル・ゴンザレス・ヴィデラ」基地の近くに建てられた避難所 | 南緯六十四度四十九分西経六十二度五十一分 |
三十一 | 削除 | |
三十二 | 千九百四十七年にグリニッジ島のアルツロ・プラット基地の近くに建てられたチリの南極水路測量の基準点を示すコンクリートの一本柱 | 南緯六十二度二十八分西経五十九度四十分 |
三十三 | 千九百六十年に死亡したゴンサレス・パチェコを記念して名付けられたグリニッジ島のアルツロ・プラット基地の近くの避難所 及び額板のついた十字架 | 南緯六十二度二十九分西経五十九度四十分 |
三十四 | 千九百四十七年にグリニッジ島のアルツロ・プラット基地に建てられたアルツロ・プラットの胸像 | 南緯六十二度五十分西経五十九度四十一分 |
三十五 | 千九百四十七年にグリニッジ島のアルツロ・プラット基地に建てられた木製の十字架と処女カルメンの像 | 南緯六十二度二十九分西経五十九度四十分 |
三十六 | 千八百七十四年にエドアルト・ダルマンによりキング・ジョージ島のポッター入江に建てられた金属製の銘板の複製 | 南緯六十二度十四分西経五十八度三十九分 |
三十七 | 千九百四十八年にベルナルド・オヒギンス基地の前に建てられたベルナルド・オヒギンス総司令官の胸像、同年二月十八日にチリ共和国ガブリエル・ゴンザレス・ヒデラ大統領により開設された旧ベルナルド・オヒギンス南極基地、千九百五十七年八月十二日に南極大陸で死亡したオスカー・イノストローザ・コントレラス中尉 及びセルジオ・ポンス・テレアルバ中尉を追悼した銘板 及びベルナルド・オヒギンス基地の周辺にあるバージン・デル・カルメン洞窟 | 南緯六十三度十九分西経五十七度五十四分 |
三十八 | 千九百二年にオットー・ノルデンショルド率いるスウェーデン南極探検隊の本隊によりスノーヒル島に建てられた小屋 | 南緯六十四度二十二分西経五十六度五十九分 |
三十九 | 千九百三年にスウェーデン南極探検隊によりホープ湾に建てられた石の小屋 | 南緯六十三度二十四分西経五十六度五十九分 |
四十 | 千九百五十五年にアルゼンチンにより建てられた「エスペランサ」基地にあるサン・マルティンの胸像、処女ルーファンの像のある小洞窟 及び旗柱 並びに この地域で死亡したアルゼンチン探検隊員を記念する石碑のある墓地 | 南緯六十三度二十四分西経五十六度五十九分 |
四十一 | 千九百三年にC.A.ラルセンによりポーレット島に建てられた石の小屋、石塚 及び探検隊員の墓 | 南緯六十三度三十四分西経五十五度四十五分 |
四十二 | サウス・オークニー諸島のローリー島のスコシア湾内の地域にある千九百三年にW.S.ブルース率いるスコットランド探検隊により建てられた石の小屋、千九百五年に建てられたアルゼンチンの気象 及び磁気観測所 並びに千九百三年から 十二個の墓のある墓地 | 南緯六十度四十六分西経四十四度四十分 |
四十三 | 千九百五十五年にフィルヒナー棚氷のピエドラブエナ湾のアルゼンチン基地の北東千三百メートルの地点に建てられ、千九百七十九年にコンフィン海岸にあるアルゼンチン基地に移された十字架 | 南緯七十七度五十二分西経三十四度三十七分 |
四十四 | 千九百八十二年にプリンセス・アストリ海岸に上陸した 第一次インド南極観測隊を記念してダクシン・カンゴトリ基地に建てられた同隊隊員の氏名の一覧を記した銘板 | 南緯七十度四十五分東経十一度三十八分 |
四十五 | ブラバン島に上陸したアドリアン・ジェルラーシ率いるベルギー南極探検隊を記念してメチニコフ岬の高度七十メートルの地点にあるモレーン頂上に建てられた銘板 | 南緯六十四度二分西経六十二度三十四分 |
四十六 | 千九百五十年に第三次フランス南極探検隊によりテール・アデリーに建てられ火災で部分的に破壊されたポール・マルタン基地の全ての建物 及び設備 | 南緯六十六度四十九分東経百四十一度二十四分 |
四十七 | 千九百五十二年にマリオ・マレー率いる七名が越冬したテール・アデリーのペトレル島のマレー基地にある木造の建物 | 南緯六十六度四十分東経百四十度一分 |
四十八 | 千九百五十九年に行方不明になった気象研究員アンドレ・プリュドームを記念してペトレル島の北東部の岬に建てられた十字架 | 南緯六十六度四十分東経百四十度一分 |
四十九 | 千九百五十九年に第一次ポーランド南極探検隊によりバンガー丘陵のドブロウォルスキー基地に重力加速度の測定のために建てられたコンクリートの柱 | 南緯六十六度十六分東経百度四十五分 |
五十 | 千九百七十六年に「プロフェツソン・シードレツキー」号 及び「タザール」号に乗船していた 第一次ポーランド南極海洋観測隊の上陸を記念してファイルズ半島にあるチリ基地の南西にある崖に建てられた真鍮の銘板 | 南緯六十二度十二分西経五十九度一分 |
五十一 | 千九百七十九年に死亡したウラジーミル・プチャルスキーを記念してアドミラルティ湾のアルツトウスキー基地の南にある丘に建てられた鉄製の十字架のついた墓 | 南緯六十二度十三分西経五十八度二十八分 |
五十二 | 千九百八十五年に開設された中国の長城基地を記念してキング・ジョージ島のファイルズ半島に建てられた一本石柱 | 南緯六十二度十三分西経五十八度五十八分 |
五十三 | 千九百十六年の英国船「エンデュアランス」号の遭難者のチリ海軍船による救助を記念してエレファント島に建てられた一本石柱、銘板 及びルイス・アルベルト・パルド船長の胸像 | 南緯六十一度三分西経五十四度五十分 |
五十四 | 千九百六十五年にロス島のマクマード基地に建てられたリチャード・E・バードの極地における功績を記した青銅製の胸像 | 南緯七十七度五十一分東経百六十六度四十分 |
五十五 | 米国の軍南極探検隊 及びロンネ南極調査探検隊によりストニントン島に建てられたイースト基地の建物 及び工作物 | 南緯六十八度十一分西経六十七度 |
五十六 | 南極半島ダンコ海岸にあるチリの「ガブリエル・ゴンサレス・ヴィデラ」基地の近くにあるウォーターボート岬小屋の遺構 及び その周辺の工作物 | 南緯六十四度四十九分西経六十二度五十一分 |
五十七 | 南極半島地域を探検したアンドルー・マクファーレンを記念してグリニッジ島のマクファーレン海峡のヤンキー湾に建てられた銘板 | 南緯六十二度三十二分西経五十九度四十五分 |
五十八 | 削除 | |
五十九 | 千八百十九年に沈没した「サン・テルモ」号の乗組員を記念してリヴィングストン島のシレフ岬のハーフ・ムーン浜に建てられた石塚 | 南緯六十二度二十八分西経六十度四十六分 |
六十 | 一 千九百三年にアルゼンチンのコルベット艦「ウルグアイ」号がスウェーデン南極探検隊を救助した記念としてジェームズ・ロス諸島のシーモー島海岸南部のペンギンズ湾に建てられた銘板と石塚 | 南緯六十四度十六分西経五十六度三十九分 |
二 千九百二年にスウェーデン南極探検隊によりジェームズ・ロス諸島のシーモー島海岸南部のペンギンズ湾に建てられた木柱と石塚 | 南緯六十四度十七分四十七・二秒西経五十六度四十一分三十・七秒 | |
六十一 | グーディエ島のロックロイ港にあるタバリン作戦と科学研究のための基地として建てられたA基地 | 南緯六十四度四十九分西経六十三度二十九分 |
六十二 | アルゼンチン諸島のウィンター島にある初期の英国科学基地として建てられたF基地 | 南緯六十五度十五分西経六十四度十六分 |
六十三 | 西グレアム・ランドのマルグリット湾内のホースシュー島にあるY基地 | 南緯六十七度四十八分西経六十七度十八分 |
六十四 | 西グレアム・ランドのマルグリット湾内のストニントン島北端にあるE基地 | 南緯六十八度十一分西経六十七度 |
六十五 | 千八百九十五年にヘンリク・ブル率いるノルウェー捕鯨探検隊によりスヴェンド・フォイン島に建てられた伝言ポスト | 南緯七十一度五十六分西経百七十一度五分 |
六十六 | 千九百十一年にクリスティン・プラストラッドによりスコット山の北側の絶壁のふもとに建てられた石塚 | 南緯七十七度十一分西経百五十四度三十二分 |
六十七 | 千九百十一年にグリフィス・テイラーにより建てられたグラニット湾のジオロジー岬にある石で作られた小屋 | 南緯七十七度東経百六十二度三十二分 |
六十八 | 英国南極探検隊によりインエクスプレッシブル島のヘルズ・ゲイト・モレーンに建てられた補給所 | 南緯七十四度五十二分東経百六十三度五十分 |
六十九 | 千九百二年にロバート・ファルコン・スコット率いる英国南極探検隊により建てられたクロージア岬にある伝言ポスト | 南緯七十七度二十七分東経百六十九度十六分 |
七十 | 千九百二年にロバート・ファルコン・スコットによりコールマン島のワーズワース岬に建てられた伝言ポスト | 南緯七十三度十九分東経百六十九度四十七分 |
七十一 | 千九百十二年にアドルフ・アンドーレセンにより建てられたデセプション島にあるホエーラーズ湾捕鯨基地 | 南緯六十二度五十九分西経六十度三十四分 |
七十二 | クラリウス・ミッケルセン率いるノルウェーのトールスハウン捕鯨船の一行により建てられたヴェストフォール丘陵のトライン島にある石塚 及び旗竿 | 南緯六十八度二十二分東経七十八度二十四分 |
七十三 | エレバス山における旅客機墜落事故により死亡した二百五十七名を記念して千九百八十七年に建てられたステンレス製の十字架 | 南緯七十七度二十五分東経百六十七度二十七分 |
七十四 | エレファント島の南西の海岸にある入江の中にある木造の帆船の残骸 | 南緯六十一度十四分西経五十五度二十二分 |
七十五 | 千九百五十六年から 千九百五十七年の英国南極横断探検隊によりロス島のプラム岬にあるスコット基地内に建てられた小屋 | 南緯七十七度五十一分東経百六十六度四十六分 |
七十六 | 気象 及び火山観測所としてデセプション島のペンデュラム入江に建てられ噴火により破壊されたペドロ・アギュレ・セルダ基地の遺構 | 南緯六十二度五十九分西経六十度四十分 |
七十七 | ジョージ五世・ランドのコモンウェルス湾のデニソン岬に建てられたモーソン小屋群 及び同岬のボート泊地の海中にある歴史的遺物 | 南緯六十七度東経百四十二度三十九分 |
七十八 | 千九百九十年に遭難した 第九次インド南極観測隊を記念してドロンニング・モード・ランドのフンボルト山地の同隊遭難地点に建てられた銘板 | 南緯七十一度四十五分東経十一度十二分 |
七十九 | 第一次ドイツ南極探検隊の支援のためにビクトリア・ランドのドッケリー山に建てられた小屋 | 南緯七十一度十二分東経百六十四度三十一分 |
八十 | 千九百十一年にロアルド・アムンゼン率いるノルウェー南極探検隊によって、地理学的南極点に展張された天幕 | 南緯九十度 |
八十一 | 千八百四十年にデュモン・デュルビルが上陸したテール・アデリーの小島 | 南緯六十六度三十六分東経百四十度四分 |
八十二 | キング・ジョージ島ファイルズ半島のフレイ基地、ベリングスハウゼン基地 並びにエスクデロ基地の近くにある南極条約の記念碑 並びに同条約への署名 及び極地に関する国際年を記念した銘板 | 南緯六十二度十二分東経五十八度五十七分 |
八十三 | ルーベ海岸のラルマンドフィヨルドのデターユ島にあるW基地 | 南緯六十六度五十二分西経六十六度三十八分 |
八十四 | ウィンケ島のドリアン湾のダモイ岬に建てられた小屋 | 南緯六十四度四十九分西経六十三度三十一分 |
八十五 | マクマード基地におけるPM―3A原子炉を記念する銘板 | 南緯七十七度五十一分西経百六十六度四十一分 |
八十六 | 長城基地の第一号棟 | 南緯六十二度十三分四秒西経五十八度五十七分四十四秒 |
八十七 | ドローニングモードランドのシューマッハオアシスにおける最初の常設ドイツ南極観測基地ジョージフォスター跡地 | 南緯七十度四十六分三十九秒東経十一度五十一分三秒 |
八十八 | クドリョショフ教授の複合掘削施設 | 南緯七十八度二十八分東経百六度四十八分 |
八十九 | 千九百十年から 千九百十二年にかけて行われたテラ・ノヴァ探検における千九百十二年十二月のエレバス山調査期間に使用された頂上野営地 | 南緯七十七度三十分二十一秒東経百六十七度十分十三秒 |
九十 | 千九百十年から 千九百十二年にかけて行われたテラ・ノヴァ探検における千九百十二年十二月のエレバス山調査期間に使用された中腹野営地E | 南緯七十七度三十分二十一秒東経百六十七度九分十五秒 |
九十一 | サウス・シェトランド諸島のリビングストン島に建てられたブルガリアのセントクリメント・オーリドスキー基地のレイム・ドッグ小屋 | 南緯六十二度三十八分二十九秒西経六十度二十一分五十三秒 |
九十二 | 千九百五十九年から 二千十年まで南極地域で使用された雪上重トラクター「ハリコフチャンカ」 | 南緯六十九度二十二分四十一秒東経七十六度二十二分五十九秒 |
九十三 | 千九百十四年から 千九百十五年にかけて行われたアーネスト・シャクルトン率いる南極横断探検隊により使用された沈没船「エンデュアランス」号 | 不明 |
九十四 | カール・アントン・ラーセン船長により建てられた石塚 | 南緯六十四度十四分十三・〇六秒西経五十六度三十五分七・五秒 |
九十五 | 千八百十九年に消息を絶ったスペイン船「サン・テルモ」号の沈没船 | シャーレフ岬(サウスシェットランド諸島のリビングストン島)周辺(正確な位置は不明) |